ナムラブログ

古典占星術とか世相とかについて思ったまま書き綴る南村悠介の雑記ブログ

植物は人間の心を読んでいる?

 犬や猫にも心がある、と言われれば(真偽はともかく)納得する人は多いと思います。でも、タンポポや桜、さらにはキャベツだの大根だのといった植物全般にまで心があると言われると「おいそれとは信じられない」という人も多いのではないでしょうか。

 

 ところが「植物にも心がある」という話は世界各国に昔からあります。そしてこうした「植物の心」について取り扱った本の中で、いまや古典ともなっている有名な本に『植物の神秘生活』(ピーター・トムプキンズ、クリストファー・バード著)という本があります。私がこの本を読んだのは20年ほど前のこと。そもそも植物オンチの自分がなぜこの本を読もうと思ったのかは憶えていないのですが、私自身の“神秘志向”のセンサーがこの本をキャッチしたようなんです。

 

 占いそのものには私は小学生の頃から興味を持っていましたが、いつの頃からか占いで当てることより占いの裏側にある神秘の法則の方に興味を持つようになっていったのですね。そして、その傾向をさらに加速してくれたのが、まさしく『植物の神秘生活』だったような気がします。

 

 この本には植物が持っている様々な能力について詳しく書かれています。簡単に言えば、植物は人間の心を完全に読んでいる、という内容です。そしてちょうどこの本を読んだ頃、私自身に「植物の神秘(らしきこと?)」に触れる“ちょっとした事件”がありました。今日はそれについて書いておきたいと思います。

 

『植物の神秘生活』を読んだ頃だから、やはり20年ほど前のことになります。私はある人から観葉植物の「幸福の木」をプレゼントされました。ずいぶん貫禄のある木で、高さも自分の肩のあたりまであり、その堂々たる雰囲気は当時の私にはもったいないというか、やや不釣り合いに感じられました。

 

 その幸福の木が気に食わなかったわけではないのですが、自分自身の好みで選んだ観葉植物も欲しいと思い、私は近くの花屋さんに行って高さ50センチほどのパキラという観葉植物を1本買ってきました。そして、幸福の木のすぐ横に置きました。

 そのパキラは花屋さんに入った瞬間に私の目に飛び込んできたもので、小ぶりではあるものの、ウチの幸福の木に負けないくらい生命力を感じさせるオーラがあって、まさに自分好みの雰囲気を持っていました。幸福の木には悪いけれど、なんとなく、このパキラの方が妙に可愛く思えたのでした。

 

 パキラを家に持って帰り、幸福の木のすぐ横、1メートル足らず離れたところに置きました。しかしその後、1か月もしないうちにパキラに異変が生じました。当初、すごく生命力にあふれたパキラだったのに、しだいに葉っぱの色つやが悪くなり、元気もなくなってきたのでした。一方、幸福の木の方はすごく元気で、生き生きと呼吸しているようすが感じられます。

 

また、この時に気づいたのですが、元気のよい植物って、葉っぱにホコリが付かないんですね。幸福の木の葉は別に拭いたわけでもないのにキレイなまま。一方、すぐ横に並べて置いてあるパキラはというと、しばらく放っておくと葉っぱの表面にホコリが薄く付着するのです。だから余計にパキラが元気なさげに見えるのです。この2本の植物を並べてみていると、まるでジャイアンの横で弱虫がちっちゃくなっているような感じです。

 

 そんな時に誰かから植物どうしはケンカし合うことがあるので離して置いた方がよい、という話を聞きました。そこでパキラを別室に移したところ、陽当たりの悪い部屋だったにもかかわらずパキラは急に元気を取り戻し、葉っぱの色つやも復活し、それから背丈もどんどん伸びていったのです。

 

 何か月か経ち、そのパキラはついに部屋の天井に届きそうになるほど成長してしまいました。元気がよいのはいいけれど、これ以上、成長してしまうとちょっとヤバいぞ…、うちは植物園ではないのだから…、せめてもう少し低い高さで止まってくれていたら…などと思いました。そしていろいろ考えたあげく、このパキラを誰かにもらってもらうことにしました。

 

 そのパキラを手放そうと思った日の夕方、部屋で何かの作業をしていた私の背後で「バキッ」という音がしたので振り返ると、パキラの幹が中ほどで折れていたのです。それも、私が「このくらいの背丈で止まっていれば理想的なのに」と思った、まさにその高さのところで折れていたのです。

 

 その時、私はそのパキラに対してものすごく申し訳ない思いを抱きました。なぜなら私にはパキラが自分自身の意思で折れたように思えたからです。つまり別室に移されてのびのびと成長していったはよいが、成長し過ぎて主人に迷惑をかけたばかりによそへやられることとなり、それが嫌なものだから自分自身でわが身を折って短くなったように思えたからです。

 

 もっとも、その後に調べたところによると、パキラという植物は成長し過ぎると、時たまひとりでに折れることがあるそうです。また、陽当たりの悪い部屋だからこそ、おひさまを求めて成長したのかもしれません。だからその時も「単なる偶然」だった可能性は十分にあるでしょう。こんなところにいちいち「神秘」を見つけていたらキリがないですもんね。

 

しかし、思い返せば私の人生にはこうした偶然がものすごく多いです。1つ1つは偶然でも、それがたび重なると単なる偶然ではなくなってくるというか…。もしかしたら、そういう偶然が多いというより、人よりそうした偶然によく気付くだけかもしれませんが、そうした偶然に何度も出会ううち、この世には人の目には見えない「何か」がある、という思いがますます強くなっていきました。

 

 さて、その後のパキラですが、実はその事件の1年後、私は引っ越しをすることとなり、幸福の木、パキラとも手放さざるを得ない状況となりました。幸福の木は欲しいという人がすぐに現れたのですが、パキラはもらってくれる人がいませんでした。そこで、そのパキラを買った花屋に引き取ってもらうことにしました。花屋の店主はそのパキラを覚えていたらしく、「おお、ずいぶん大きくなったね」みたいなことを言っていました。そのパキラとはお別れとなりましたが、寿命が長いといわれているパキラ、今でもいい人生(?)を送ってくれていればいいなと思います。