ナムラブログ

古典占星術とか世相とかについて思ったまま書き綴る南村悠介の雑記ブログ

占いとは叩き台である。

 占いとは「当てなければならない」ものなのでしょうか。そして占い師とは「当てる」仕事なのでしょうか。

 実を言えば私自身、「占う」ことと「当てる」こととはジャンルの違う問題だと考えています。私の考えを言わせていただければ、占いとは「未来設計の叩き台」に過ぎません。

 

 たいていの人間は常に先々のことを考えながら生きているものです。しかしながら未来というものはあまりにも漠然とし過ぎていて、何から考え始めればよいのか実はよくわからないということも確かです。

 そんな時、とりあえず「このままゆくとこうなるかもよ」という「叩き台」があると便利なわけです。その「叩き台」を提供するのが占いだと私は考えています。

 

 叩き台があれば、それを手掛かりにして、努力の方向を探っていくことも容易になります。そして人生をよりクリエイティブな感性で構築していくことが可能になるのです。叩き台は完成された台本ではありません。未来に向かって飛び出すためのステップ台なのです。だからこそ、それがそのまま現実になるわけではないということです。
(ただし、いかに有益な叩き台を提供できるかは占い師の腕にかかっています)

 

 叩き台は叩き台であるがゆえに、たいがいカタチが変わります。なぜなら人は叩き台をもとに自分の人生について真剣に考え、より良い人生を求めて有意義な行動をとろうとするからです。

 それに対し、占ってもらった結果をただ妄信して、何の努力もしないなら、それは本人の怠慢でしかありません。自分の人生を占い任せ、他人任せにし、自分で考えることを放棄しているだけです。

 一方、「当てる」ことだけを使命と考え、しかも自分は「当てられる占い師」だと思い込み、人生について主体的に「考える」ことがどれだけ大切かを伝えない占い師は三流だと思っています。

 

 占い師とは人に「未来設計の叩き台」を提供する仕事です。だから占った人から「当たらなかったじゃないか」と言われてナンボの職業です。なぜならそれはその人に「考える」素材を提供できた証拠だからです。それを「叩かれた」と思い、占い師の面目丸つぶれだと考え、へこんでしまうという人はそもそも占いの仕事をはき違えているということでしょう。「占いは当てねばならぬ」と考えること自体、そもそも傲慢な考えだということに気づくべきです。

 「占いとは何か」ということについて、今後も自分の考えを何回かに分けて書いていくつもりです。