パート・オブ・フォーチュンの正体(3)
前回の記事を読んでいただいているという前提で話を続けます。
PoFには次の2種類の求め方がありました。
①太陽をアセンダントに持ってきた時の月の位置
②月をアセンダントに持ってきた時の太陽の位置
このうち、②の方に関してはパート・オブ・スピリットと呼ばれ、別のロットと考えられている、ということも書きました。
となると、(私が何を言おうとしているか、もうお気づきだと思いますが)必然的に①の方はパート・オブ・ソウルということになりはしませんか?
だって、そうでしょう?
②の太陽の位置はパート・オブ・スピリット
であるなら、
①は月の位置なのでパート・オブ・ソウル
と考えるのが自然じゃないですか?
でも実際は月の方だけパート・オブ・フォーチュンとして呼ばれることが多く、もう一方の太陽の方は別物と見なされることが多い、ということです。
ところがもう1つ別の説もあります。
それは「①と②のいずれもPoFなのだけど、昼生まれは①で、夜生まれは②をPoFとする」という説です。
こうした別説の存在はPoFをますますわかりづらいものにしています。
私がこういう話をすると、もっと占星術の歴史に詳しい人が出てきて「それぞれ成り立ちが違うんだ」とおっしゃるかもしれません。
しかし、かりにそうだとしても、
「偶然というものは、そうなるべくして最終的に一致する」
という考え方もあるでしょう。
①と②の方法が別の時代に別の場所で生まれたとしても、最終的に統合される運命にあったと考えればいいのです。
ともあれ話を先に進めましょう。
占星術で言うPoF(特に月の位置で示されるPoF)は物質的な富のありかを示していると言われています。
つまり精神的な幸せとかではなく、もっと世俗的なもの、平たく言えば貨幣価値に換算できるモノやコトです。
だから、これを月の物質的なエネルギーに関連付けて、そのエネルギーはSoulである、と考えるのもまた自然です。
だからこそフォーチュン(富)と言う、わかりやすい呼び名が定着したのではないか・・・。
しかしもう一方はSpiritであって、こちらは地上界の物質的な富とはあまり関係がない。
もっと高次元のエネルギーです。
(だからフォーチュンという世俗的な概念からは外されたのかもしれません)
そこでこう考えます。
①と②は本来、双子の兄弟のような関係であったと・・・。
しかし性格は全く違っていて、弟のSoulだけが地上界では人気者になってしまい、いつしかフォーチュンという特別な名前で呼ばれるようになった。
一方、兄貴のSpiritはあんまり目立たないやつで家にこもって読書ばかりしている。
世間ではちょっと不人気だったため、弟とは別れて住むようになった。
やがて世間では2人が双子の兄弟だったことさえ忘れてしまった・・・。
もちろんこれは推測であり、仮説であり、私の想像です。
でも、そう考えた方が楽しいと思いませんか?
前の記事で「本来、人はいつもアセンダントの方向に未来を感じ、そちらばかりを見ているのでは?」といった内容のことを書きました。
しかし実際にはアセンダントに意識を置くというのは未来とかではなく、自分しか見ていないため視野狭窄に陥る、ということかもしれません。
だからこそ、視点のズラシを教えてくれるのがPoFです。
そしてそのPoFには2種類あると。
本来、この2つのPoFは本来、「物質的な幸福」と「精神的な幸福」のありかをそれぞれ指し示していたのかもしれません。
そういう解釈法は、もしかしたら、昔は通用したのかもしれません。
でも、今はどうかな・・・と考えてしまいます。
日本でも昭和中期の高度成長時代以前なら
「貧しくても幸せならそれでいい」
という言葉が使われていた時代でした。
つまり、「物質的な幸福」と「精神的な幸福」とは別物だと考えられていたと言うことです。
ところが現代、物質的な豊かさなくしては幸せを実感しにくい時代になっています。
だから「物質的な幸福」と「精神的な幸福」を別々に考えること自体が今の時代ではナンセンスっぽいです。
前の記事で私がPoFは月と太陽の両方のバージョンを参考にした方がよいと書いたのはこういう理由があるからです。