ナムラブログ

古典占星術とか世相とかについて思ったまま書き綴る南村悠介の雑記ブログ

『クリスチャン・アストロロジー第1部だけでも熟読してみませんか?』 出版から今日で1周年

ちょうど1年前の9月20日、『クリスチャン・アストロロジー第1部だけでも熟読してみませんか?(上中下巻)』をアマゾンkindleで出版しました。

やっと本を書き上げたので、さあ、この先どうするか…と思いつつ、この1年間、あまりにもいろいろあり過ぎたため、結局、占星術に関しては何もできませんでした。

 

せっかく出版したのに宣伝らしいことは何もせず、ただ放っておいただけでした。
別に話題になったわけでもないし、ドカーンと売れたわけでもない。
でも、なぜか不思議なことに今でも途切れることなくボチボチ読まれ続け、売れ続けています。
だからアマゾンの売れ筋ランキングでも順位はさほど落ちていません。
こういうのをロングテール商品って呼ぶのかな?

 

本が売れるのはとても嬉しいのですが、それにしても、いったいどんな人が買ってくれているのでしょうか。
「買いましたーっ」という声もあまり聞こえて来ないので、よくわからないんですよ。

それにアマゾンのページに私はかなり長い説明文を書いたのですが、『続きを読む』のところをクリックしないとその説明文が出て来ないんですね。
この表示に気づかない人もいるんだろうな…。

でも、まあ、いっか…

 

私は昔、普通に会社員をやっていたのですが、30歳の頃のある日、当時、勤めていた会社の社長宅に食事に招かれたことがありました。

その社長というのが面白い人で、東大在学中に人間観察の練習のために横浜中華街で手相占いをやっていたそうです。だから手相占い師としてはほぼプロの実力を持っていらっしゃいました。

 

食事が終わってお茶をいただいていた時、社長が「じゃあ、ナムラ君、君の手相を観てあげよう」と言うので私はおとなしく両手を差し出しました。

社長は私の手相を見ながら一般的な運勢の解説を一通りした後、嬉しそうな顔をしてこんなことを言うんですね。

「それでね、キミは最終的に〇〇歳で死ぬよ。腸の病気だね」

 

その社長の言葉を聞いて、私は「ああ、やっぱりそうですか?僕もそう思ってたんです」と答えました。

実際、自分でもそう思っていました。

私には自分の人生に決定的な影響を与えた人がいて、その人はその年齢の時に腸の病気で他界したのです。私はその人を目標に生きていたこともあって、自分自身もその人物と同じ年齢で、それもおそらく腸の病気で死ぬと予感していました。

 

それから3年ほどして私はその会社を辞め、その尊敬していた人物の後を継ぐべく転職をしました。
しかし同時に、その頃から私は本業とは別に占いにますますのめり込んでいきました。

何種類かの占いを同時に勉強していましたが、くだんの社長の影響もあって、手相にもずいぶんのめりこんでいました。

 

その頃の私は手相書を片っ端から何十冊も読んでいて、毎日、人の手相も観まくり、いつのまにか何となく手相がわかるようになっていました。

それで、あらためて自分の手相をじっくり見ると、やはりどう考えても私はその〇〇歳で死ぬとしか考えられませんでした。

ちなみに占星術だとその年齢より数年前が「危なそうなトシ」なのですが、自分のカンとして、こればかりは手相の方が当たっていると確信していました。

 

結局、私の人生というのはずっとその年齢に向かって生きていたようなものでした。

だから、どうしても去年までにクリスチャン・アストロロジーの翻訳書を完成させて、とりあえず遺書代わりに出版しておきたかったのです。

ところが死ぬはずだった去年、結局、私は死にませんでした。

1年くらいの誤差はあるかと思ったのですが、1年たった今も全く元気。まだまだ当分生きていそうな雰囲気なんですね。

これは占いがはずれたのではなく、たぶん、どこかで何かが変わったのだと思います。
いや、もしかしたら、それまでの古い自分が死んだのかもしれません。

 

ともあれ、この先の自分の人生をほとんど設計していなかったこともあって、私には逆にやるべきことがたくさん出てきてしまいました。
先ほど、「この1年、占星術に関しては何もできなかった」と書いたのはそのためでもあります。

予想外に長生きしそうで困っているんですが、自分的にはこれからの人生はオマケのようなものだと思っています。

そう言えば子供の頃、グリコのオマケを開ける時が一番ドキドキ、ワクワクしたものでした。

今後の人生もグリコのオマケみたいなものだとするなら、それをゆっくりゆっくりと開けながら、ドキドキ、ワクワクし続けられる人生を送ってみたいと思っています。