ナムラブログ

古典占星術とか世相とかについて思ったまま書き綴る南村悠介の雑記ブログ

古典を学ぶ意味。

最近、古典占星術に興味を持つ人が増えてきたように思います。
人が書いた占星術関係のブログなどを近頃たまに拝見するのですが、そうしたブログで本来、モダンをやっていた方たちが古典占星術について書いている記事を時々目にするようになってきました。
こういうことって、本当にごく最近のことですよね。やっと古典が認知されるようになってきたみたいで、ちょっと嬉しく思います。

 

でも、そうした記事を拝見していて思うのは、何だかみんな腰が引けているというか、おそるおそるというか、「おい、お前先に行けよ」的な「及び腰」感が行間からにじみ出ている感じがするんですよ。

それを別に非難しているわけではありません。

こちらとしても別に「古典様のお通りだい!」とか言って「エバっている」わけではありません。

 

もともと私がクリスチャン・アストロロジーの翻訳を構想した理由は現代占星術への非難ではありませんでした。

現代占星術は現代占星術のままでいい、と思っていました。

私は今でも現代占星術が嫌いではありません。

うん、グッドとは言いませんが、ノットバッドですよ。

それより私の心中にあったのは

「古典占星術の世界をどうにかしないといけない」という思いでした。

 

10年ほど前の日本における古典占星術の世界(といっても超狭い世界でしたけど)は「洋書が読める」という一部の人たちだけが古典についての知識を独占していて、まるで中世のギルドみたいな雰囲気を作り出していたような世界だったと思います。

 

こういう雰囲気って、実を言うとウィリアム・リリーの頃のヨーロッパとよく似ているんです。

1600年代になるまで、ヨーロッパのキリスト教会で使用されていた聖書と言えばすべてラテン語で書かれていました。

ところがラテン語を読める人っていうのは教会関係者とか教養のある一部の人たちだけでした。

そして一般庶民はラテン語が読めなかったので、1600年代になる前の一般庶民は誰も聖書を読んだことがなかったのですね。

それでいて、「神を信じなければ地獄に堕ちるぞ」と脅されていたのです。

 

ところが1611年、イングランド王のジェームズの命令で、世界初、英語版の聖書というのが発行されました。いわゆる欽定訳聖書です。

それ以後、一般庶民も初めて英語で聖書を読めるようになったわけですが、もはや誰でも聖書を読めるようになったせいで、キリスト教会の地位が一気にダウンしてしまったのです。

つまり、それまでのように「どうせ一般庶民は聖書に何が書いてあるのか知らないのだから、聖書を使って一般庶民をおどかしてやればいいんだ」みたいなやり方が通用しなくなったからです。

 

話がかなりそれましたが、10年位前まで日本における古典占星術を取り巻く世界っていうのは、まさにこれとよく似た感じだったと思います。

どうせ、古典占星術の洋書を読める人なんかほとんどいないのだから、大いに威張っといてやろう、みたいな雰囲気。私は何とかしてそこにドスンと石でも落としてやりたい、と思って、クリスチャン・アストロロジーの翻訳書を出したのでした。

「あなたがたが聖書のように言っているCAにはこう書かれていますけど、何か…」って感じで。

 

そういうわけで、私は自分の出したCAの翻訳書が現代占星術の人たちに読まれることは最初から想定していませんでした。すでに書いたように、それまでの日本の古典占星術界へ一石を投じるのが目的でした。

でも、意外にも現代占星術の人たちがずいぶん読んでくださっているようです。

 

そこで今、あらためて古典占星術の研究をスタートさせた人たちにちょっとだけお話しさせていただきたいことがあります。

 

それは何も古典とモダンとをむりやり融合させなくてもよかろう、ということです。

 

融合させる必要はないけれども、両方をやる価値はあるだろうな、と思います。

 

そもそも古典を勉強する意味って何でしょうか?

私はクリスチャン・アストロロジーを研究してみて、ようやくわかりました。

 

私は最初のうち、ルル・ラブアさんの本を読んで占星術の世界にあこがれをもちました。

その後に、たとえば松村潔さんが書かれた占星術研究会って本を手に入れ、夢中で読んだりしました。

ところが、現代占星術って、勉強すればするほど迷路に深く入り込む世界です。

そこで現代占星術の勉強は見切りをつけ、思い切って古典の世界に飛び込んでみました。

古典の世界というのはまさに地道な基本ばかりでした。でも、その基本をしっかりやってしまうと、あらためて現代占星術の本を読んだ時、現代占星術の解釈の中でいたるところに意味不明の解釈がなされている「意味」がわかってきたのです。

こういうのって、いわゆる「上から目線」というのかもしれません。

気を悪くされた方がいらっしゃったら申し訳ないのですが、実際、古典をやっていると、こういう鳥瞰的な視点がはぐくまれるような気がします。

でも、その上でやっと現代占星術の「気持ち」が理解できるようになってきました。

 

ちょっと話が変わりますけど、Shall we ダンス?って映画、観ましたか?

クラシック・バレエの第一人者であった草刈民代さんが主演をしていた映画ですが、あの映画の中で草刈さんは本当にプロかというくらいにみごとな社交ダンスをおどっていらっしゃいました。

別にそれまで社交ダンスをやってらっしゃったわけではないのだけれども、古典の基礎があるので、映画の撮影時にあっという間にあそこまで踊れるようになってしまったのですね。

あれってね、実は古典が持っている力なんですよ。

坂本龍一氏だって東京芸大クラシック音楽をやっていて、首席で芸大を卒業した後、あっという間に現代音楽で大成功したじゃないですか。あれってね、やっぱり古典の基礎がある人の力なんですね。

草刈さんも坂本さんも、モダンの世界を非難していません。両者はともに価値あるものなんですが、ただし、古典をしっかりやっておくと、モダンがわかりやすくなるよ、っていうことだと思うんです。

 

たまにブログを書くとクソ長くなりますね。

今日はここまで。