参考文献って?
自分が書いた本に参考文献一覧を付けていません。これにはいくつか理由があるのですが、最大の理由は「どの本をもって参考文献と言えばよいのか」がよくわからなかったからです。
『クリスチャン・アストロロジー』は私が一番最初に購入した古典占星術の本です。ところがこの本を最初に読んだ時には意味がさっぱりわからず、すぐに挫折してしまいました。そこでいったん他の古典占星術の入門書を何冊か読んで勉強し、そこそこ基礎を身に付けた上で再度『クリスチャン・アストロロジー』に戻ったのです。すると、だいたい読めたわけですね。時間はかかりましたが。
ところが翻訳を始めると、また意味がわからなくなってきました。単に読者として読んでいるのと翻訳者という立場で読むのとでは、同じ「読む」でもまったく違うことに気づきました。
読者として読むぶんには「細かいところまで気にしなくてよい」という感じで気楽に読んでいけます。
しかし翻訳する場合、英語から置き換えた日本語に責任を持たなくてはならず、いいかげんな読み方はできません。読者的読み方の10倍くらい深く読まないと自分で納得できる訳が出て来ないのです。そしてこの場合、「深く読む」というのは語学的に深く読むことではなく、文化的背景などを理解した上で意味を理解し、なおかつ、それを人に説明できるように言葉を用意する、ということなのですね。
これは『クリスチャン・アストロロジー』を読んでいて気づいたことですが、彼は自分の著書がまさか400年たっても古典として読まれ続けるなどとは1ミリグラムも考えてはいなかったでしょう。なぜ、そう思うかというと、この本にはリリー独特のユーモアというか、オヤジギャグみたいなのがところどころに入っているからです。もし自分の本を後世の人にも読んでもらいたいと思ったら、その当時の人にしかウケないようなギャグを入れるはずがないからです。
ともあれ、『クリスチャン・アストロロジー』を読んでいて、どうしても意味が通らない一行に出会った時、その部分で翻訳はいったん中断。それから何日間も何週間もまったく先に進めなくなります。その状況を突破するため、いろいろ調べてみて、「なんだこれ、ただのギャグじゃないか!」と気づくわけです。それでやっと翻訳を再開します。
その「いろいろ調べた」とはどういうことかというと、それは占星術書以外の本をいろいろ参考にした、ということです。
幸いにして、私の家の近くには大きな図書館がありますので、そこにはずいぶん通いました。今述べたギャグに限らず、わからないことがあるたびにその図書館で調べました。
そこで天文学書から歴史書、昔の世相の解説書、語学関連の本、心理学書、医学書、薬草や動物関連の本、神話に関する本、宗教関連の本…。などなど、各種分野の専門書を渉猟したのですが、もちろんそれらの本を最初から最後まで全部読んだわけではありません。
自分の疑問を解決してくれるのは、大概その本の中のほんの一部です。たとえば1つの章だけとか、あるいは数ページだけ、場合によってはほんの数行とか…。中にはほんの1行でちょろっと書かれていることが自分の疑問点を解決してくれたこともありました。
そうした場合、つまり分厚い本の中のたった1行に救われたという場合、その本を参考文献として書いてしまってよいものか…。その一覧を見た読者は「こんな本まで読んでいるのか」と驚くかもしれませんが、私が実際に参考にしたのはその本の中の1行に過ぎません。しかしその1行があったからこそ翻訳が前に進んだことも事実です。
難しく考え過ぎかもしれませんが、あれやこれや考えているうちに、結局、参考文献一覧は載せないことにしました。ただ、特に印象に残った本とか、皆さんにもお薦めできそうな本については今後の記事で少しずつ紹介していこうかなと思っています。