ナムラブログ

古典占星術とか世相とかについて思ったまま書き綴る南村悠介の雑記ブログ

古典とモダンの違い、たとえばアスペクト。

 占星術において、古典とモダンを比較して違いを一言で述べるのは難しいものです。たとえばオーブを例にとると、「オーブはモダンの場合はアスペクトに付随するものだが、古典では惑星に付随するものだ」といった解説をよく目にします。しかし、この説明は的を射ていません。オーブを語る以前にそもそもアスペクトの意味が両者では違うので、ここから説明しないとオーブの違いまで説明しきれないのです。

 

 アスペクトとは簡単に言えば天体どうしが関わり合う「場面」のことです。これについては古典もモダンも同じです。しかし、その「場面」のどの部分に着目するかが両者では違っています。

 

 たとえばある演劇で2人の役者が「今にもケンカになりそうな場面」を演じるとします。この場合、演出家としては2人をどのくらいの間隔で立たせるかを考えなくてはいけません。もし2人の間隔が5メートルあるなら、威嚇し合ってはいてもケンカは当分始まりそうにありません。かといって2人の間隔がゼロなら、これはすでに殴り合いが始まっているか、あるいは逆に恋人同士の距離になってしまいます。

 そこで演出家は2人が「今にもケンカしそう(しかしまだケンカは始まっていない)」という緊張状態にあることを示すため、とりあえず2人を3メートルほど離して立たせよう、などと判断するわけです。

 

 ちなみに柔道の試合では、最初、両者は2間(3.64メートル)つまり畳を縦に2枚並べた距離で互いに立礼をし、それから各人一歩ずつ前に進んだところで「始め」の合図がかかるそうです。ということはやはりここでも両者の距離が3メートル前後になった地点をもって勝負が開始される距離だと考えていることがわかります。しかし歩幅は人によって違うので、お互いに一歩ずつ進んで両者の距離が正確に3メートルになるとは限りません。前後10センチくらいのズレは許容する必要があります。この場合、試合開始位置と考えられる両者間3メートルの距離がモダンにおけるアスペクトに相当し、その前後10センチほどの許容範囲がそのアスペクトのオーブということになります。

 

 一方、古典占星術では違う視点で「場面」をとらえます。たとえばある人物が友人たちと道を歩いていると、向こうから仲の悪い人物が同様にその友人たちとこっちへ歩いてくるとします。2人の距離はまだ10メートルもあるのですが、両者とも「おっ、奴だ」ということで互いに敵対的な視線を投げかけます。これを古典ではビホールド(behold)と言っています。

 

 2人の間の険悪な雰囲気はビホールドの段階ですでに始まっていて、もしこれが舞台上の演劇であれば観客の方も「これからケンカが始まりそうな場面だな」と思うでしょう。そして2人の間隔が3メートルほどになった時、そこでようやく両者の険悪ムードは最高潮になり、実際に険悪なセリフが交わされます。するとそれぞれの友人たちは「やばいやばい、このままだと本当にケンカが始まってしまうぞ」ということで両者の腕をそれぞれ引っ張って反対側に連れて行きます。しばらくは2人とも振り返りながら「覚えとけよ!」などと言い合っているのですが、さすがに10メートルも離れると2人とももう振り返ることはなく、反対方向へ去って行きます。

 

 さて、この場合、10メートル離れた位置での互いのビホールドから始まり、両者が接近していくまでのプロセスを古典ではアプリケーションと呼んでいます。そして両者の間隔が3メートルになり、険悪ムードが最高潮に達した時点をアスペクトの完成と言います。

 その後、2人がそれぞれの友人たちに引っ張られながら離れて行き、互いに10メートル離れたところでやっと双方振り返らなくなるまでのプロセスをセパレーションと呼びます。このアプリケーションからセパレーションまでの一連の過程が古典におけるアスペクトです。

 

 ではこの場合、何をもってオーブと呼ぶかというと、この場面だけでは説明がちょっと難しい…。ここではお互いが10メートルの距離に近づいた時、2人同時に相手をビホールドしたことにしましたが、実際にはそうなるとは限りません。もしかしたら一方の人物は相手が5メートルのところまで近づいてやっと相手の存在に気づくかもしれません。このように相手の存在に反応する感性というか、逆に言えば相手に自分の思い(この場合は敵意)を投げかけることのできる距離が惑星ごとに違っていて、それがその惑星固有のオーブに関係する数値となります(実際にはオーブの半分の値であるモイエティ;詳しくは拙著にて)。

 

 だから、どの惑星どうしがチャート上でアスペクトを形成するかによって、そのアスペクトじたいの有効範囲が変化することになります。言い換えると同じ90度のアスペクトであっても、役者(惑星)が変わるとその「場面」に要する時間も変わるということです。

 

 もう一度、話を戻します。場面が変わって、さっきケンカしそうになった役者の一方が友人たちとともに食事をしているシーンになりました。そこで友人たちは口々に「さっきは一触即発だったね。ケンカになったらどうしようかと焦ったよ」などと言っています。そして当の本人も「次に道で会ったら絶対に殴ってやるけどね」などと言っています。しかしこの場面にはもう険悪なムードはありません。なぜかというと、それは劇の「場面」が変わったからです。

 これを古典占星術で見るチャートで言うなら、「問題となっている惑星が次のサインに移動してしまった」ということに相当します。場面が変わったから先ほどの険悪ムードを演じる必要がなくなったわけで、それと同様、惑星が隣のサインに移ってしまったからアスペクト(という場面)を継続する必要がなくなっただけの話です。

 

 モダンをやっている人で「古典でのアスペクトはサインで見るんだよ」などと言っている人がいます。これはたとえば2つの惑星が互いにだいたい90度の位置にあったとしても、もしそれらの惑星の一方が牡羊座にあって、もう一方がわずかに獅子座に入っているなら90度のアスペクトにはならない、ということを言おうとしているのだと思います。これはある意味当たっているようで、実は本質を理解した上での発言とは思えません。実際、そうとは言い切れない場合もあるからです。もちろん人によって解釈に違いは出てくるでしょうけれど、結局は占う本人が自分自身で考え、自分の感性で判断することになります。

 

 ところで「どの惑星とどの惑星とが何のアスペクトになった場合はどういう意味で…」というふうに占星術を暗記科目にしているのは案外モダンの方かもしれません。だから参考書を選ぶ際も「すべてのパターンを網羅している本が欲しい」と思うのでしょう。

 また、モダンでさえそうなのだから、古典ならなおさらだろう、と誤解されているフシもあります。しかし古典の場合、暗記すべき部分はむしろ少ないと思います。基本だけを学べば、あとは「ストーリーの読み解き方を自分のアタマで考える」ということが大切になってきます。それだけ柔軟なものの考え方が必要だということでもあります。

 えっ?古典占星術ってカチカチ頭の人がやるって思ってました???