パート・オブ・フォーチュンの正体(2)
前回、2種類のパート・オブ・フォーチュン(PoF)について書きました。
今回はその続きです。
ここでもう一度、前回の図を載せておきます。
2つの懐中電灯
たいていの人は占星術ソフトを使っていて、PoFも自動的に算出されます。
だから、なぜPoFがその位置に来るのかについて考える人は少ないかもしれません。
一応、PoFの計算方法は暗記している、と言う人も多いでしょう。
しかし実際に図で考えないと単なる感受点扱いで終わってしまいそうです。
でも、前回、説明したように図で考えると、PoFの意味がなんとなく浮かび上がってくるように思います。
さて、それで今回の話は1つの物語だと思っていただいてかまいません。
人はこの世に生まれてくる時、「何を持たされて生まれてくるのか」という話です。
まあ、冗談というか、一種の夢物語だと思ってください。
人はこの世に生まれてくる時、ひょっとすると2種類の懐中電灯を持たされるのではないか、と思うのです。
2種類の懐中電灯とは太陽と月です。
天体としての太陽と月ではありませんよ。
あくまでも個々の中にある太陽と月です。
これらは占星術ではルミナリーズと言いますから、まさに2つの光源ですよね。
この懐中電灯は人生という道を歩む際、行く先を照らし出すための灯りです。
ちなみに生きている間中、電池が切れることはありません。
ところで全員に2つずつの懐中電灯が配布されたとは言え、2つとも上手に使い分けられる人はめったにいないようです。
誰しも使い勝手のよい方というのがあるわけですね。
ある人は太陽ばかりを使っていて、月はほったらかしにしている。
別の人は月の方が使いやすいからと行って、太陽はリュックに入れたままにしている。
こうしてみんな、日頃から使い慣れている方の懐中電灯ばかりを使う。
そしてもう一方は見向きもしない、というわけです。
「固定観念をずらす」ということ
アセンダントというのは第1ハウスの起点です。
そしてこの第1ハウスは自分の肉体を表すハウスでもあります。
方角で言えばおおむね東ですが、太陽が昇る方向に人は未来を感じます。
ということは、アセンダントの示す方向には「前方」という意味もあるように思えます。
ということで私たちは常日頃、使いやすい方の懐中電灯で自分の前方ばかりを照らし続けていることになります。
なぜならPoFを求める時、まず太陽か月のいずれかをアセンダント上に置くことになるからです。
しかし言い換えると、いつも目をこらして見続けている前方以外は盲点となってきます。
それじゃマズイということで、ほったらかしにしておいた他方の懐中電灯を取り出してスイッチを入れてみます。
すると今まで注意を払っていなかった方角が明るく照らし出されてくることに気づきます。
それがPoFなのではないか、と私は思うわけです。
すでに書きましたが、こういう話は単なる物語だと受け取っていただいてかまいません。
その真偽のほどはともかくとして、私はここにPoFを考えるヒントがあるように思います。
人はたいがい前方だけを見て生きています。
そこには未来があると考えているからです。
でも、ここに一種の固定観念も生まれてきます。
そこでちょっと視点をずらしてみる必要が出てきます。
この「視点をずらす」ということの大切さを教えてくれるのがPoFではないかということです。
太陽と月の意味を再考する
片方の懐中電灯には「太陽」と書かたラベルが貼ってあり、もう一方には「月」と書かれたラベルが貼ってある。
一般的に占星術で使うのは「月」と書かれた方の懐中電灯です。
なぜなら太陽をアセンダントに置いた時の月の位置を見るからです。
つまり「私たちは常に太陽という懐中電灯を使って前方を見ている」という前提のもと、月の懐中電灯が照らし出す場所をPoFだと考えていることになります。
しかし全員がそうであるとは限りません。
中には月の懐中電灯の方が使いやすい人もいる。
そういう人はそちらばかりを使っているはずです。
で、あらためて考えることは
「そもそも懐中電灯に貼られた2種類のラベル、太陽と月とは何だろう・・・」
ということです。
これを考えるヒントが1つあります。
それは月をアセンダントに置いた場合の太陽の位置は「パート・オブ・スピリット」とも呼ばれているということです。
本来、このパート・オブ・スピリットはPoFとは別物として考えられてきました。
そしてどういうわけか、PoFの片方と一致していることの意味について、どの占星術家も言及していません。
(これについて何か語るとヤバイことにでもなるのでしょうか・・・)
ともあれ次回の記事ではこの禁断(?)の話題に切り込んでみたいと思います。