ナムラブログ

古典占星術とか世相とかについて思ったまま書き綴る南村悠介の雑記ブログ

占いで未来を売らない。

 今回のタイトルはオヤジギャグ風にしてみました。気づいていただけましたか?

 意味は「良い占いは未来を当てることを“売り”にしない」といった感じなのですが、もうちょっと解釈を進めて「良い占い師は未来を当てることに必死にならない」と受け取って頂いてもいいでしょう。

 

 「何ゆうてんねん?占い師は未来を当ててナンボやろっ!」とおっしゃる方のために、1つ例をあげて説明しましょう。

 

 例えばここに女性の依頼人がいたとします。彼女には好きな男性がいます。しかしその男性が彼女をどう思っているかはわかりません。そこで彼女は自分から告白しようかどうかと悩み、占い師のもとへ相談に来たとします。

 

 さて、占いの結果は凶。「告白しても無理」と出た時、占い師はそれを彼女にどう伝えればよいのでしょうか。

 「残念ながら今回の恋はあきらめましょう」的なことを彼女に伝えたとして、彼女は

 「ああ、占っておいてもらってよかった。告って振られて恥をかかずにすんだ」

と占い師に感謝するでしょうか。

 そして「また好きな人ができたら、この占い師さんに占ってもらおう!」

と思うでしょうか。

 

 それよりむしろ後になって、

 「あの時、なぜ私は告白する前にあきらめてしまったのだろう。あんな大切なことをなぜ占い師任せで決めてしまったのだろう」

と後悔するかもしれません。

 

 実はこういう場合、占いを受けにきた人が本当に求めていたのは「当たる占い」ではありません。「難しいかもしれない。でも、ダメもとで告白した方が後悔しないよ」という言葉、背中を押してくれる励ましだったのではないかと思います。

 

 ダメもとで告白した結果、占い通り振られたとしたら「占いは当たった」ことになります。しかし人生、何が起こるかわかりません。もし占い師の励ましで勇気を得た彼女が全力でアタックし、その結果、彼のハートをみごとに射止めたとしましょう。この場合は「占いがはずれた」ことになりますよね。でも、こういうはずれ方をしたからと言って、占い師が評判を下げることは絶対にありません。それどころか、彼女はまた何かで悩んだ時、その占い師のところへ相談しに来るでしょう。

 

 人は必ずしも「当たる」占いを求めているとは限りません。結果がどうあれ、自分が納得できる方法を知りたくて占いを利用する、という人もいます。いや、むしろそういう人の方が多いかもしれません。

 

 占い師が「当てる」という「小さなメンツ」にこだわり、「当ててやる」という「大それた野心」に執着し過ぎると、しばしば依頼人を不幸せな方向へ導いてしまうということです。

 

 「転ばぬ先の杖」という言葉がありますが、転んで地面に寝そべってみて、初めて見えてくる世界というものもあります。
 結局、人は自分の人生に納得するために生きています。それがたとえ「自分の限界を知る」というカタチでの納得であったとしても。
 本人が自分自身で納得するチャンスを奪ってしまう占いをしてはいけないというのが私の考えです。